【室町時代】首長がアイヌ民族を率いて和人と戦う!!


はじめに

みなさんはアイヌ民族って聞いたことありますか?

中学2年生の歴史の授業の中でほんの少し触れられた日本の民族のことなのですが、どのような歴史がありどのような文化を形成していたのか歴史好きな方は気になりますよね?

今回はそのアイヌ民族に関して少し詳しく書いていこうと思います。


アイヌ民族の歴史について

北海道
今の北海道や東北等には、紀元前25,000年ごろの旧石器時代から、人が住んでいたと考えられています。

この人たちがアイヌの先祖に当たります。

ただし、実際にアイヌであるという自意識が芽生えたのは、旧石器時代以降の縄文時代、続縄文時代、擦文時代を経た後の13世紀ごろと言われています。

その後、交易などによって、元々アイヌだけが住んでいた地域に和人が目立つようになり、アイヌと和人の間にさまざまな対立が生まれるようになりました。(和人とは、本州からアイヌの土地へと渡来してきた人たちの呼び名です。ただし、この定義は明治以前についてのもので、現在は、アイヌに対して日本国内で多数派を占める人たちのことを指しています)。

アイヌと和人の間に起きた戦いには、コシャマインの戦い(1457年)、シャクシャインの戦い(1669年)、クナシリ・メナシの戦い(1789年)などがあります。ちなみにコシャマインとシャクシャインは当時のアイヌ民族の首長の名前です。

戦いによってはアイヌが優位となったものもあったのですが、その後のさまざまな展開を経て、アイヌが和人によって支配されるという構図が確立されていきました。

このような支配構造の中、18世紀後半から19世紀前半にかけて、和人によって漁業に関連した強制労働に従事させられたことや、和人によって持ち込まれた病気である天然痘の流行によって、アイヌの人口は大幅に減少しました。

その後、1869年にアイヌの人たちが住んでいた島は、当時の日本政府によって北海道と名付けられ、アイヌの了解を得ることなく日本の一部とされました。それに伴い、アイヌも日本国民であるとされたのですが、アイヌに対する差別意識は残ったままでした。

アイヌのこれまでの生活習慣は否定され、同化政策といって日本人と同様の生活をするよう強いられました。

1899年にはアイヌを保護するという名目で北海道旧土人保護法が施行されましたが、アイヌを農業に従事させることが目的だった上に、その内容も和人の場合と比べて恵まれているとは言えないものでした。

このような状況に対抗するべく、北海道アイヌ協会設立(1930年)などの動きが生まれ、戦後のさまざまな活動を経て、1997年には北海道旧土人保護法が廃止され、アイヌ文化振興法が制定されています。


アイヌ民族の衣装について

アイヌの衣装は素材によって、主に4種類に分けられます。

それぞれ、獣皮衣、樹皮衣、草衣、木綿衣と言います。

ちなみに、年代的には獣皮衣が最も古く、以下、樹皮衣、草衣となるにつれて新しくなっていきます。

獣皮衣の素材は、クマやラッコなどの動物の毛皮です。また、動物ではなく、サケなどの魚の皮によって作られた魚皮衣や、鳥の羽毛によって作られた鳥羽衣もあります。

樹皮衣の素材は、シナノキなどの木の内皮です。ちなみに内皮とは、植物の皮の中で、最も内側のもののことを言います。

草衣の素材は、草の一種であるイラクサです。実際には、イラクサの繊維を織って作られています。

木綿衣の素材は、その名の通り、木綿です。木綿のほとんどは交易によって手に入れられたもので、江戸時代から多く見られるようになりました。

ちなみにアイヌの衣装の中には、他の地域で作られた服が交易によって入手されたものも含まれています。

たとえば、蝦夷錦(えぞにしき)と呼ばれる絹の衣装は中国との交易によって入手されたものですし、元は侍の衣装である陣羽織も和人との交易によって入手されたものです。

アイヌの衣装は、普段の生活や労働の際に着る衣装と、儀式などの時に着る晴れ着に分けられており、儀式などで晴れ着を着る際には、首飾りや耳飾りなどの装飾品も着用するのが一般的でした。

また、魔よけの意味などが込められた、アイヌ文様と呼ばれる独特の文様も、アイヌの衣装の大きな特徴のひとつと言うことができます。

蝦夷錦

蝦夷錦です。


どんなものを食べていたのでしょう??

昔のアイヌでは、本格的な農業は行なわれておらず、食材は自然界から入手していました。

たとえば、山菜の類では、フキノトウ、ヨモギ、ゼンマイ、ウバユリ、イチゴ、クリ、シイタケなどを採取していました。

また、陸の生き物としては、クマ、シカ、タヌキ、エゾライチョウ、ガンなどを狩猟によって入手していました。

他にも、海や砂浜、川などで、クジラ、アザラシ、ニシン、イワシ、タラ、アサリ、コンブ、サケ、ヤマメ、イワナなどの食材を手に入れていました。

明治以降は農業が本格的に行なわれるようになり、ヒエ、アワ、ジャガイモ、トウモロコシなどが作られるようになりました。

次に、実際の料理について見てみましょう。

一般的な主食としては、オハウと呼ばれる汁物がありました。

オハウとは、肉や魚を山菜と一緒に煮たものです。クマ肉を入れたものをカムイオハウ、サケを入れたものをチェブオハウと呼ぶなど、食材によって、いくつかのバリエーションがありました。

他には、ヒエやアワなどを主な食材としたサヨという名前のおかゆや、ウバユリなどを煮込んだラタシケプという煮物も多く食されました。

冬場の長期保存などのために、食材を乾燥させたり、燻製にすることも多かった模様です。
また、儀式の際には、通常の食事以外に酒や団子なども作られました。


おわりに

アイヌの歴史を見てみますと、元々はアイヌだけで住んでいたものが、和人との接触によって、徐々に和人の支配下に置かれるようになっていったことが分かります。

仮に倭人に支配されずアイヌ民族が独立性を保っていれば北海道は現在他の国になっていたかも知れませんね。

また、その流れをくむ北海道旧土人保護法が、およそ20年前まで廃止にならずに残っていたということも驚きです。

一方、アイヌの衣装や食文化に目を転じてみますと、古くから日本の北方で、自然と共に生きてきた民族であることが分かります。

独自の文化を持つ先住民族として、一種独特な魅力を放っていると言えるのではないでしょうか。

(アイヌの持つ世界観に触れてみたい方には、平凡社ライブラリーの『カムイ・ユーカラ』や、岩波文庫の『アイヌ神謡集』などが参考になるかも知れません)。

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