新元号は令和!!どのような意味が込められているのでしょうか?

新元号発表!!

本日11時30分に発表予定とあったので今か今かとまっていたのですが中々発表が行われませんでした。

結局10分ほど遅れての発表でした。

新しい元号は令和(れいわ)です!5月1日より令和元年となります!!出典は日本最古の歌集の万葉集です。

その一文は、

初春の令月にして、気淑く風和らぎ、梅は鏡前の粉を披き、蘭は佩後の香を薫らす

というものです。

誰がこの新元号を考案したのかが気になるところですが、考案者は明らかにされないようです。

新元号にはどのような意味が込められているのか気になりましたが、官房長官の記者会見では発表されませんでしたが、『和』という感じが使われているので平和の意味は込められているのでしょう。

ちなみに平成という元号には『天地、内外ともに平和が達成される』という意味が込められています。

新元号も制定されよい機会ですので元号の歴史や改元について少し書いてみたいと思います。

改元する理由って??

元号を採用している場合、改元によって新たな元号が制定されるわけですが、そもそも改元が行なわれる理由とは何なのでしょうか。

明治以降の日本では元号法によって、改元の理由は皇位継承と決まっています。ですから、元号が改められるのは現役の天皇が亡くなって、次の天皇が皇位を継承された時でした。

しかし、昭和天皇から皇位を継承された現在の天皇は、生前退位という、亡くなる前の段階での退位を望まれています。

元々、元号法には生前退位に関する規定はなかったのですが、次の改元は、生前退位に伴う皇位継承が理由、ということになりそうです。

生前退位が今後も採用されるのかは不明ですが、一帝一元号の制度の下では、改元の理由は皇位継承と決まっていますから、ある意味、分かりやすいですよね。

しかし、過去の歴史を振り返ってみますと、改元の理由は、必ずしも皇位継承とは限りませんでした。

たとえば、日本最初の改元は650年に行なわれていますが(大化→白雉)、改元する前も後も、時の天皇は孝徳天皇でした。

つまり、皇位継承はされていないにもかかわらず、元号だけは改められた、というわけです。 この時の改元の理由については、日本書紀に記述があります。

それによりますと、ある国司が白い雉を献じたことがきっかけだということです。

昔は占い的なことが現代よりも重視されていましたから、占い的に吉兆なこと(よい兆しとなること)があると、それを理由に改元していたのです。このような改元を、祥瑞改元と言います。

過去の改元のその他の理由としましては、災害、天変地異などが多く見られます。江戸時代には、外交難が理由で改元したこともあるようです。

もちろん、皇位継承に伴う改元もあったのですが、昔の改元の理由は今と比べると、かなりバラエティーに富んだものだったようですよ

元号っていつから始まったもの??

日本最初の元号は、645年から650年にかけて使用された大化であるとされています。そう、歴史の授業で聞き覚えのある、大化の改新の、あの大化です。

飛鳥時代の話で、当時の天皇は孝徳天皇でした。

ここで「あれ?」と疑問に思った方もいらっしゃるかも知れません。そうです、昔の元号は、天皇の名前と同じではないのです。

今では改元による新しい元号がそのまま天皇の名前となっています。

たとえば、元号が明治の時の天皇は明治天皇、大正の時は大正天皇といった具合です(ただし、在位中は今上天皇と呼ばれるのが一般的です)。

ですが、昔はそうではありませんでした。

今のような、元号と天皇の名前が対応するやり方を、一帝一元号と言います。これは、日本では明治になってから始められたものです。

明治以前は一帝一元号は採用されていませんでしたから、同じ天皇の在位中に複数の元号が使用されることも、多々、あったのです。

話は戻りますが、日本では最初の元号が大化、その次の元号が白雉(650~654年)と制定された後、元号は、いったん、断絶します。

そして、断絶から32年後の686年に朱鳥という元号が制定され、その後はずっと断絶することなく、今日に至っています。

元号は昔から切れ目なく続いていたものかと思っていたのですが、実はそうではなかったのですね。

ちなみに世界で初めて制定された元号は、紀元前140年に中国で制定された建元です。

当時、中国は東アジアの一大勢力でしたから、その中国で発祥した制度が周辺諸国へと広まっていき、日本でも採用されることになったというわけです。

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